| 今週は、沖縄・北方の委員長として復帰35周年の沖縄を訪問した。 特に、戦後初めて南大東島への衆議院の委員会の派遣を実現できた。 沖縄本島から遥か東方390キロに浮かぶ南北大東島。島民は南大東村が約1400人で、北大東村が約500人だ。 残念ながら台風の影響で、北大東村には行けなかったが、南大東村では仲田村長はじめ、多くの島民に歓待を受けた。 この島は明治33年に八丈島の出身の玉置半右衛門が、開拓のため入島して歴史が始まった。 だから入植してから107年を迎える。 総面積30平方キロ。 だいたい、東西南北6キロ程度のまるい島。 山はない。 小学生は120人で医師は1人。 村役場の職員は約50人。 中学卒業後は、ほとんどが那覇市内の高校に入る。 産業はさとうきび栽培と公共事業である。 島は水不足に苦しんできたが、今は海水の淡水化で賄っている。 国会議員団、行政関係者など総勢20人近い訪問であったが、つぶさに離島での島民の暮らしぶりや、産業の振興状況を見た。 財政難で役場で人員の補充はしていないこと、下宿を強いられる子供たちの高等教育のあり方、さらには自由貿易協定の締結による、さとうきび産業への影響など、多岐にわたって村の方々と話し合いをした。 ちなみに、この島は硫黄島に比較的近いために、司令官だった栗林中将が、中継基地として立ち寄った島だという。 実は私の母方の祖父も硫黄島で戦死しているので、もしかしたらここを経由して硫黄島に行ったのかもしれない。 そう思えば何だか感慨も深い。 過疎が深刻かと思いきや、あまり人口の減少は極端ではないらしい。 やはりさとうきびと公共事業の仕事が大きい。 仕事があるうちは、島を離れる人は少ない。 補助金と公共事業と地方のあり方は、今や政治の最大の課題だ。 この島も沖縄という特殊な事情によって、他の地域以上に公共事業をやれてきた。 また、さとうきびでの保護政策によって何とか生きているのである。 自立といってもなかなか難しいのは事実だが、私は、「これまでと同じメニューで、国から金をもってくるのは難しいので、別の道で島が生きる工夫を考える必要がある。」、と話した。 すると仲田村長も、「とにかく、少しでも自立して生きていける工夫を考えております。」 、と話されていた。 三位一体の改革の中で大変ではあるが、こうしたがんばる離島を政治家として少しでも応援していきたいものだ。 「安住淳の国会日誌」(童牛社刊)定価 ¥1,900(税別) ※書店、インターネットでお求め下さい ★安住淳国会通信の登録・解除・アドレス変更はこちらまで メール g00017@shugiin.go.jp FAX 03ー3508ー3503 TEL 03−3508−7293 (2007.05.25) |
| 「任重而道遠」。 任重く道遠しと読む。 この字の掛け軸を持 っているのが秋田県横手市に在住している元社会党衆議院議員の川俣健二郎先生だ。 寝室にかけて毎日見ているというのだが、実はこの字を書いたのが岸信介元首相である。 この字は昭和17年に行われた総選挙のとき、当時社会大衆党から出馬した川俣先生の先代の応援に来た岸氏が書いたという。 何故、東條内閣の商工大臣であった岸氏が社会大衆党の候補者の応援に横手まで行ったのか。 川俣先生が言うには、「実は先代は反戦の立場を貫いて、昭和17年の選挙では大政翼賛会の推薦を受けないまま選挙に出馬した。 当時、岸さんは東條と対立して反政府的な立場を鮮明にしていたので、大政翼賛会の推薦を受けない議員のところを、全国的に応援に歩いていたのだ。 たいしたものだ。 軍部や警察ににらまれ、社会全体からも批判の目で見られて大変な疎外感や孤独感を味わったろう。 今の野党どころの騒ぎじゃないからなあ。 私も当時、旧制中学の1年生だったので時代の空気はよくわかる。 岸氏は戦後首相にまで登りつめたが、気骨ある人物だった。」 と話しておられた。 川俣氏の父は、戦後秋田を代表する社会党の大物議員となったが、その後も岸氏とのつながりを脈々とつづけた。 私には意外な話であった。 右派の暗いイメージのつきまとう岸 信介という政治家の、まったく別の面を知った思いがした。 川 俣氏によれば、この字は実に見事な出来で、あふれるエネルギーと強い信念が伝わってくるものだという。 ところが話に落ちがある。 今の首相の父である安倍晋太郎氏は、義父にあたる岸信介にまねて、この「任重而道遠」を、よく色紙に書いていたそうだが、同 僚議員だった川俣氏の言葉を借りれば、似ても似つかないほどダメな字だったそうだ。 「言葉や態度はごまかせるが、字は正直だなあ。 重厚さは比べ物にならなかったよ。」ということだ。 現首相も、たぶん父親同様に岸信介をいつも意識して政治家をやっているのは容易に想像がつく。 しかし、当時の軍部や大政翼賛の流れに抗してまで戦った岸という人間は、机で勉強して身につけた学習保守派とはまったく違う。 久しぶりに先輩議員との楽しい語らいのひとときであった。 「安住淳の国会日誌」(童牛社刊)定価 ¥1,900(税別) ※書店、インターネットでお求め下さい ★安住淳国会通信の登録・解除・アドレス変更はこちらまで メール g00017@shugiin.go.jp FAX 03ー3508ー3503 TEL 03−3508−7293 (2007.05.18) |
| 思い起こせば今から11年前になる。 トニーブレアが、労働党党首として政権交代に向けて準備を進めていたときに、私はロンドンで彼に会った。 彼はその後すぐに、イギリスの首相として来日て、当時の民主党の菅代表とも会談している。 「我々が政権を獲得するには18年という長い歳月を要した。 何度となく挫折した。 しかしイギリス国民は労働党を見捨てなかったし、我々もあきらめなかった。 一つわかってもらいたいのは、政権交代は短時間に少しの努力で出来るものではない。 200年以上の歴史のあるイギリスの二大政党でも、一度失った政権を取るには18年を要したということだ。 ましてや、あなた方は初めての試みをするのだから、それは大変な道だと思う。 あきらめずにねばり強く努力をして、民主党の政権を樹立してほしい。」、という話をしてもらった。 私も野党暮らしが11年目となった。 4度の選挙でも、残念ながら政権には届かなかった。 しかし、私は常にトニーブレアの言葉を思い出して奮起している。 労働党政権はこの8年の間にイギリス社会を変えた。 イラク戦争への対応では、国民から多くの批判を浴びた。 たぶん、労働党らしからぬところがあったからだろう。 ブレア首相辞任のあと、ブラウン財務相が首相の座につく。長くブレアのライバルだった政治家だ。 秀でたリーダーではあるが、その道は険しい。 保守党が力をつけてきた。 同時に国民の振り子は長期政権を嫌い、保守党に揺れ始めている。 二大政党を実に見事に使い分け、片方に権力を集中させない英国民の知恵が働いている。 日本も一日も早く、そんな二大政党の時代が来ればいいと思いながら、私は政治活動を続けている。 さて、後半の国会は残すところいよいよ二ヶ月となった。 ここに来て天下り規制の法案や、放送法改正案は成立を見送る公算が高 まっている。 社保庁改革法や国民投票法、イラク特措法など重 要法案が多くて消化不良になっているのだ。 初めから、国対関係者の中にはこのことが指摘されていたが、安倍内閣も初めての通常国会なので張り切って、中味はさておき数で勝負とばかりに法案を出してきたが、やはり先送りとなる法案が数多く出そうである。 まさに若気の至り内閣の本領発揮というところか。 「安住淳の国会日誌」(童牛社刊)定価 ¥1,900(税別) ※書店、インターネットでお求め下さい ★安住淳国会通信の登録・解除・アドレス変更はこちらまで メール g00017@shugiin.go.jp FAX 03ー3508ー3503 TEL 03−3508−7293 (2007.05.11) |
|